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私の家具屋の原点

2016年02月29日

家具のフクタケのつぶやき

私がなぜ家具屋を経営しているのかと考える時に一番影響を受けた人は祖父でした。

私の母方の祖父は代々現在の岐阜県関市(昔の板取村)の林業の家系で、

祖父は70歳過ぎ現役の林業家、すでに息子と孫も高校を出て家業を手伝っていました。

私が小学生4年生ぐらいの2月に祖父が亡くなったと連絡が入りました。

真冬に枝打ち中に木から転落して、

雪が降りだして血に染まったタオルを少しでも目立つように体に縛って

息を引き取っていたと祖母から聞いています。

祖父は決して収入に困って仕事をしていたわけではありませんでした。

孫やひ孫など次の世代の人たちが少しでも良い生活が出来る様にと

ただそれだけの理由で70過ぎて木に登っていたのです。

自分たちの利益ではなく次の世代の為に木を育てて、次の世代に残していく。

そして収入は代々育てられてきた木を伐採して収入を得ていたのです。

昔は林道も整備されておらず、山に入るときは米、みそ、野菜を持ち

山にこもって仕事していたそうです。

それでも途中で食料は足らなくなります。

そこで仕事をしながら確保できるマムシを捕まえて食べていたそうです。

私が子供のころは皮をむいて干物にした蝮が部屋にぶら下がっていて

それを炙って食べたのも覚えています。

亡くなった父親は母と結婚するときの挨拶に初めて母の実家に行った時、

ウナギだと言って蝮を食べさせられたと良く笑い話にしていました。

今ならさながら山でマムシを捕まえて食べるのは自衛隊のレンジャー部隊の訓練ぐらいでしょうね。

私は家具屋です、命がけで育てられてきた木材を使い、

家具メーカーが家具にしてただそれを売ってるだけの仕事です。

いわば場末の仕事だと思っています。

私にできる事は家具になってから少しでも長く使えるを販売しようと考えています。

良質な木材を使用して作られた素晴らしいデザインで作り込まれた家具が

値段だけを見てただ高いと言われている事がとても悲しい。

少しでも良さを知ってもらい、

優れた家具メーカーの技術や家具が後世に継承されていき、木が大切に使われてほしい。

少しでも自然を相手に命がけで働く林業家の利益につながれば良いと考えてこの仕事をしていましす。

素晴らしい技術を持ち家具メーカーは日本に沢山あります。

もっと多くの人々の目に触れて家具の良さを感じて欲しい。

家具屋として祖父や先祖代々世界中の木に関わる仕事をしてきた

多くの人々に恩返しできるか?

ただそれだけを考えて家具屋を営んでいます。

祖父の背中が私がこの仕事をする原点です。

そして家具の奥深さ、デザインの可能性や楽しさ、

だけでなく経営者としての背中を家具を通して見せてくれたのが

カンディハウスの創業者 長原稔氏でした。

世界中の偉人が話した尊い言葉よりも、祖父のとった行動が私にっとって大きかった。

そして長原さんが創り出した家具に触れる事がどんな素晴らしい経営者が語る言葉より重みがありました。

私の家具屋の原点は祖父と長原稔氏の存在があって初めて家具屋を営んでいます。

この歳になってあらためて受けた影響の大きさを感じさせらています。

家具のふく岳
小川直樹

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